夕映え 乙女心(22/01/24)

乙女心と朧月

近くのスーパーに続く一本道に、通るごとに必ずチェックする多肉スポットが二か所ある。いずれも強健な普及種で、一か所は鉢植え、もう一か所は地植え。

このお宅は、目の高さの門柱に乙女心の鉢を二つ、足元には素焼き鉢と、少し大きめの鉢を置いている。目を引くのは、夕映えと白っぽいエケベリアの寄せ植え。

季節ごとに表情が変わり、こうやって冬と夏の変化を見比べると一層興味深い。12月の夜に咲いていた足元の花は、何だったんだろう。1月には終わっていた。冬には地上部が枯れる種類だったのかもしれない。代わりに朧月の小さな苗が顔を出していた。

柱の上のカラフルな鉢も、冬は紅葉がきれいだった。ハムシーは夏ダメになってしまったのか、万宝もやせ細っている。

いつも変わらずもりもりと元気なのは、駐車場脇の朧月たち。群生した鉢が見るごとに増えている気がする。

朧月は散歩途中で、地植え花壇の見事な群生に出会ったことがある。道路から玄関まで、アプローチ左の数メートルの花壇が朧月だけで埋まっていた。これでは雑草も生えないだろうというくらいの密度で、まったく土も見えず。ただ、そのお宅がどこだったのか、いつも歩くコースを外れていたらしく、その後二度とたどり着けない。

古株になると幹立ちして、野生児のように奔放に伸びていく。我が家では直射日光の下のハンギングで、台風で雨風にあたってもびくともしない。あまりにその辺によくある多肉(というイメージ)のためか、人にあげてもありがたがられない朧月。単体で大事にされているのを見ると嬉しくなる。

学名のパラグアイエンセという名で呼ぶと、少し格が上がるかな。現地では葉っぱがグラパリーフという名前で市場にも出回り、サラダにして食べるらしい。

 

森村万年草

同じく雑草除けのように茂っているのが、道路と建物のキワに植えられた森村万年草。植えたんだよね、勝手に生えたわけじゃないよね? いやもしかしたら、最初は鉢植えだったのかもしれない。しょっちゅう借主が変わる角地の小さな建物で、元の主と一緒に鉢も引っ越してしまったあと、こぼれ落ちた葉っぱが増殖したのかもしれない。

このセダムは、本当に野生化しているのを見たことがある。市内北部のギャラリーに行った時のこと。道路をはさんだ川べりに、雑草のごとく広がっていた。道路キワのこの万年草もだけれど、地面にあふれるセダムは、ふっくらふわふわとやわらかげで、しかもとってもみずみずしくて、鉢植えのセダムよりよほどきれい。

我が家でも、雑草除けグランドカバーになってほしいとばらまいてみた。今のところヒメツルソバには勝てないでいる。がんばってほしい!

 

交差点を渡ったスーパーには、入り口前のスペースにいつも花屋が出店している。切り花も鉢ものもとっても安い。B級だけれど、ショッピングモールのおしゃれな花屋のもやし鉢より全然丈夫。ここで破格の多肉に遭遇。ワゴンの中から紅茜とパラグアイエンセなる苗をゲット。

ん? パラグアイエンセ? 朧月じゃないよ、どう見ても。徒長してるけどそれはわかる。どうやら別の種類らしい。朧月くらい強健だと良いけれど。

 

金のなる木

最後に、これまたよく見かける強健普及種ながら、こんなにきれいに紅葉するのかと驚いたひと株、花月。金のなる木という名で出回っている。これは病院に行くときに通る道沿いだから、少しぐるぐるすればたどり着けるはず。

金のなる木には思い出がある。もうすっごい昔のこと。ぼろい二階建てのアパートの一室を、仕事用に借りていた。6畳二間+Kに女ばかりが多いときに4-5人。そこに業者の出入りや遊びにくる友人やらもいて、にぎやかに過ごしていた。夜は地元大学のフィリピン人留学生を教師に迎え、友人たちと英語を教えてもらったりもしていた。

隣は一人暮らしのおじいちゃん。当時は”おじいちゃん”だったけれど、今の私くらいの年齢だったかもしれない。昼夜出入りが多いのをうるさがることもせずに、いつもニコニコ笑っていた。

このアパート、部屋の前は西向きの広い通路で、西日がよくあたった。下駄箱や棚を置いてもまだ余裕がある。その棚の上やら、ドアの左右やら、おじいちゃんエリアの空きスペースにはびっしりと、観葉植物の(ような)鉢。あの頃植物にはまったく興味がなかったので、種類がなんだったのかはわからない。ひと鉢を除いて。

ある日、よく頑張って仕事してるね、儲かるようにこれあげるよ、と鉢を手渡された。しっかり育てると、金がなるよと。

ありがたいような、ありがたくないような、いや、むしろ迷惑のような。つやつやとした丸っこい葉に、武骨な幹。う~ん、好みの姿形でも無いし…。

植物に興味がない人に植物をあげるのは、やめたほうがいい。植物はお世話をしなければいけないから、とっても負担なのだ。特にあの頃の私(たち)みたいな、がさがさと走り回っているような年齢の時には。

いただいた後、水やりをした記憶がない。その後鉢がどうなったのかも、全く記憶にない。もっと広いマンションに引っ越しするときに、持っていった記憶もない。枯らしてしまったのか、あるいは見かねたおじいちゃんが、水やりしていてくれたのか。そしてそっと、引き取ってくれていたのか(だから私に金はならず、その後あの仕事もたたむことになったのか)。

なぜかこの花月、豪邸の門前などに見ることはなくて、道路から玄関がすぐのような、庶民的なお宅の前に置かれていることが多い。それが安っぽい鉢に植わっていたりすると、ちょっといじましい。

でもこのお宅の花月は赤々ととても立派で、姿もすっきりと美しくて、大事に育てらていることがわかる。昔じゃけんにしたことや、多肉を始めてもずっと目がいかなかったことが申し訳なく思える、そんな見事さだった。

花は(この株は)ピンク。いつだったか満開の時に遭遇して、しばし見とれた。花月はかなり大株にならないと花をつけないらしい。残念ながら写真がない。花のタイミングに合わせて、あのお宅の前を通ることがあるだろうか…。

 

  • 日にち 2021年12月16日、2022年8月6日
  • 場所 静岡県S市ご近所
  • 種類 色々
  • 原産地 あちこち